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札幌音楽家協議会は札幌をはじめ道内に在住する音楽家たちが、開かれた民主的な音楽活動を目指して、音楽文化の発展と会員相互の連携と親睦をはかる目的で作られた、60年の歴史を有する公的な団体です。(1961年創立) コンサート・コンコルデやコンチェルト・ダ・サローネ等の主催事業、例会や親睦会を通じて音楽家同士のコミュニケーションとレベルの向上を計り、北海道の音楽文化の発展に寄与することを目的としています。 |
ホームページ開設 2007/6/21 リニューアル 2011/5/20 最終更新 2025/3/16 運営委員会 会員名簿 |
今月のコラム −・−・−・− 3月10日に95歳で逝去された藤田道子先生が機関誌37号に寄稿した「ロシア訪問記」です。 ロシア訪問記 藤田道子 「キャー、キーギギギー!」叫びごえに似た機械の雑音の繰返しで目が覚めました。「もう着いたの?」「エンジンの小さな問題でまだ飛びません」「ヒコーキがちょっと壊れたの?」「説明がありませんから、たぶん待たねばなりません」・・・イルクーツク空港で2時間以上も立ちんぼうで待たされ、機上で眠りこけていての出来事。不思議にも、機内のだれ一人、文句も質問もせずに正面向いてじっと我慢しているのです。高齢者も子供も、実にいい姿勢でお人形さんみたいに。 何と、空調が止まった機内で、汗びっしょりになって2時間待ったことになります。早起きして飾り立てた化粧など跡形もありません。その後、飽きるほど待って飛び上がった時には、不安と疲労と空腹で、もう、墜落しても仕方がないや、と本気で思っていました。 思えば25年前、延々8日も掛かってウイーンヘたどり着いた時代には、横浜港からソ連船、シベリア鉄道、モスクワから飛行機でコペンハーゲン経由と、ソ連横断の思い出は、すべてが「大きくて、オッカナカッタ」のですが、この1991年の再訪で、乗客を乗せたまま修理して4時間も飛び続けた飛行機と、一言も発せず沈黙のまま待っていた人々の、あの計り知れないエネルギーには大きなショックを受けました。 強烈な「シベリアおろし」をビクともせず、キリッと身支度した少年少女が、50mもある道路を堂々と胸を張って横断していく。丈夫そうな市民が、商品のない商店街を、何不自由ない様子で往来している。一体、この底力は何なのだろう?吹雪の中でふっ飛ばされてヨロメキ、首をすくめて走りなからつくづく考えたことでした。 「音楽に国境なし」を振りかざして他国の内政干渉をするつもりはありませんが、ペレストロイカ(改革)による国内情勢の変化で、情報公開(グラスノースチ)による自由を得て、音楽に関しては革命後、初めて正教会のクリスマスが国家的お祭となり、コーラス・コンサートがラジオやTVで自由に放送されて、教全音楽の美しさに新しい感動を覚えたという今のノボシビルスク市民たちとの出会いについて、短期訪問4回という、わずかな体験を通してですが少し記したいと思います。 1990年10月、札幌国際プラザとハイメスのお陰で姉妹都市文化視察団で訪口が実現。連日の過密スケジュールを消化し、プログラムの実施確認とその結果報告というロンア式ミーティングを重ねている中で、全く思いがけず「日本歌由コンサートと指導」の要請をコンセルバトーリ(国立高等音楽院・グリンカ音楽院)とノボ市基金財団から口頭で受けたわけです。格好いい言い回しをすれば、今のチャンスが、後々続く若手演奏者への道づくりになったらいいなあ…、そして、ロシアの音楽家との交流の切っ掛けができたらば・と何やら使命感がグット湧いてきて、即、快諾をしたのですが、後日、国情が変換期に入り、正式招請状を手にするまではキャンセルを覚悟していました。 1991年10月、初のロシア公演にあたり「2日間のリハーサルと2日の休息、授業は演奏会後の2週間、終了日には学生発表会を」という私案を受け入れて頂き、G・ ヴィッテルマン教授との厳しくも楽しい「日本歌曲」のピアノ合わせ、本番、そして授業へと続きました。 本番がラジオで放送されて、河邨文―郎作詞・木村雅信作曲「月光」が印象的である、と解説されていましたが、月1回番組の現代音楽シリーズで「南聡作品」が好評で、度々、アンコール放送されていることが、アカデミーガラドックの大学関係者懇談会と、ノボ市作曲家連盟で話題になった時に、一体、著作権料はどうなっているのかな!と、日頃、忠実に支払義務を果たしている者の頭をヨギリました。 人口約150万のノボシビルスク市。6科650名の学生に150名の教授陣。ヴァイオリンのワジム・レービン、マキンム・ベンゲロフなどの出身技・国立高等音楽院での声楽科授業に関しては、5か月前に届けた12曲の日本歌由の楽譜を、コピーならぬ手書きで、各々が薄茶色のわら半紙に5線を引き(定規がないのか不等間隔)、自由に写譜して、既に練習がしてありました。元気一杯の「出船」、巻舌で劇的な「からたちの花」、超レントの「平域山」、「さくら横町」など、日本人に3回指導された日本語と、声薬教授陣の気合の入ったレッスンで仕込まれた学生たちの歌は、ドラマチック過ぎるとしても、美声ぞろいで、そのままでも実に味が出ていて感動的でした。 レッスン中に納得するまで食いついてくる学生の熱心さ(感の良さで覚えるのも早い)、 詩と作品の時代背景など異文化を知ろうとする真摯な態度、ドレスアップ・リハーサル(ドレス着用のレッスンですが、外観の問題ではなく、本気で演奏の意識を持って臨んでいるか?ずらり並んだ教授陣の厳しいチェック)、この段階で外された学生は泣いて歌い直すなど、ステージリハ―サルの真剣勝負と共に、プロを目指す学生たちの迫力に圧倒されました。異文化の容認と尊重を国際理解の原点として開設された「日本音楽・文化科」の第2回プログラムのために、この12月、邦楽代表・高垣幸子、佐薙のり子両先生による演奏会(筝独奏とヴァイオリン他の二重奏)・「日本歌曲II」授業の招譜を受けてノボ市に発ちます。邦楽の授業と演奏会に大きな期待を寄せている学生や教授陣との再会が楽しみです。 1992年11月28日 記 |
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